ドラえもんのび太の雲の王国『雲が行くのは』を演奏してみた

今日紹介するのはこの方

ドラえもんのび太の雲の王国『雲が行くのは』を演奏してみた


とりあえず、動画を再生してくださいね。

ドラえもん のび太と雲の王国

ドラえもん のび太と雲の王国』(ドラえもんのびたとくものおうこく)は藤子・F・不二雄によって執筆され、月刊コロコロコミック1991年10月号から1992年1月号に掲載された大長編ドラえもんの1作品。および、1992年3月7日に公開された映画作品。大長編シリーズ第12作、映画シリーズ第13作。
くるまによん』(前面にドラえもんの顔をあしらったソーラーカーソラえもん号を扱ったショートフィルム)同時上映に関連してか、同作品には「ソーラーカー」が登場する。
シリーズで初めて、ドラえもんが故障するという危機的状況が描かれた。このシリーズの他作品でも何度かドラえもんが故障することがあるが(次作『ドラえもん のび太とブリキの迷宮』、『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』など)、1エピソード中に2回も故障したのは本作のみ。
あらすじは 雲の上には本当に天国があると信じてそれを馬鹿にされたのび太に、ドラえもんは雲の上に自分の理想の王国を作ろうと提案する。紆余曲折あったものの、仲間たちの協力を得て雲の王国はついに完成。しかし、王国で遊んでいる途中偶然に、本当に天上人の住む雲の上の世界があることを発見する。自然に恵まれ絶滅動物も生息するその雲は、絶滅動物の保護地区だった。そこの監察員パルパルにつれられ、施設に移動する5人。友好的に見えたパルパルだが、天上界では「動植物と地上人をあらかじめ天上界に避難させ、大洪水で地上文明を洗い流して破壊する」という恐ろしい方策「ノア計画」が実行されようとしていた。(Wikipediaより)ちなみに映画ドラえもんのホームページはこちら映画ドラえもん25周年公式サイト

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「otousan」さん

この動画で演奏されている方は「otousan」さんという方です。(おとうさんって…)多分おとうさんをやっているかたなんでしょう…それにしても多彩な方だ。ピアニカ・ウクレレ・ベースの3つの重ね録り。凄く素敵な演奏だと思った。最後の少し手前の間奏ではウクレレのソロまで入っている。この方は他にも「重いでは億千万」や「エアーマンが倒せない」も演奏している。ちなみにこの二つは特にお勧め。なんていうか、旅行に行った気分になります。というか、そんな気分になれます。でも、ウクレレの音、ピアニカの音…何故か懐かしい気分になりませんか?「otousan」さんの演奏を聴くと何故だか胃の少し上辺りになんとも言えない痛みにならない痛みが出てくる…この痛みは決して嫌な痛みじゃない…よくわからないから僕は「懐かしい」という言葉で表現しているけど、本当はわからない。今回の動画での演奏は特にそうだった。でも、嫌な気分じゃない。だから、「otousan」さんの演奏はとても好きだ。凄く暖かい。

曲と映画と記憶

この映画は先ほどwikiからとってきた説明文のとおり1992年に公開されたものだ。当時僕は7歳、夏休みだったからもう誕生日を迎えていたんだ。初めて映画館に行ったんだ。母と兄と僕の3人で。まだ僕は3人の中で一番小さかった。入場のときにおもちゃをもらったんだ。簡単な作りの…チョロQの作りのドラえもんが乗っている車だったはずだ。僕は赤色のおもちゃだったっけ…兄は…青だったかな?僕は緑色が好きで、兄は青色が好きだった。だから好きな色のドラえもんをもらえた兄が羨ましかった。

  • 会場に入るときに母はジュースを買ってくれた。何を飲んだかは覚えていないけど、美味しかった。映画は始まった時間通りに。僕はわくわくしていたんだ、(今日記を書きながらわくわくしていた気分になっている…相変わらず僕は子供のままだ^^)初めてみる映画館での「映画」その事さえもわからずに、ただ、わくわくしていた。そしたら大好きなドラえもんがスクリーンに映ったんだ。それからはすでに「映画」に釘付けだったのがさらに釘付けになった。内容は今ではあまり覚えていない。ただ、映画館を出るときは凄く満足していた。
  • でも、出る前に母は僕たちに素敵なプレゼントをくれた。僕が売店のショーウィンドウの物を見ていたら、確か一つ1000円ぐらいするドラえもんのキーホルダーを買ってくれた。あの当時まだ、父親の給料も少なかっただろう、私立でないにしろ2人も小学校に通わせて、母もパートに出ていた。ただ、僕らが帰ってくるときはいつもいてくれた。あの頃はわからなかったが厳しい生活の中で買ってくれたドラえもんのキーホルダーは凄く嬉しかった。だから家に帰ったら修正ペンで裏のカタカナで「ナオヤ」と書いてもらった。確か兄も書いていた。外につけていくと無くしそうだったので、いつも家の机の中に置いていた。
  • そして、僕は何故かこの曲が物凄く気に入っていたようで、学校の生き返りにひとりになると口ずさんでいた。ただ、歌詞もよくわからなかったので、その頃から僕の適当アレンジが始まっていたそれでもわからないところは鼻歌だった。それがもう今の歳になると、口すさんでいたのは覚えているが、決まった部分しか思い出せないでいた。そんな時に「otousan」さんの演奏を聴いて思わず日記に書いてしまった。

聞いてみた

「あの頃持っていたものは全て持っていないけど、あの頃盛ってなかったものを今は持っている。だから大丈夫」
何故か自分に言い聞かせていた…僕は何が不安だったんだろう…ちょっと可笑しくなって笑った。あの頃のあなたは何を持っていましたか?とりあえず聞いてみた。返事は自分しか出せないけど。