RCサクセション - スローバラード

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RCサクセション - スローバラード


RCサクセション

RCサクセション(アールシーサクセション、RC SUCCESSION)は、日本のロックバンド。
忌野清志郎をフロントマンとし、「King of Rock」「King of Live」の異名をとるなど日本語ロックの成立や、現在日本で普通に見られるロックコンサート、ライブパフォーマンスのスタイルの確立に大きな影響を及ぼした。実際、RCサクセション (以下、特段の理由がない限り「RC」と略す。) に影響を受けたと公言するミュージシャンは非常に多い。
また、彼らが発信するファッションや言動などは音楽業界にとどまらず若者の間でサブカルチャー的存在とまでなり、1980年代を中心にまさに時代を席捲した。
現在は、1991年より無期限の活動休止状態になっている。
フロントマンの忌野清志郎が2009年5月2日午前0時51分、癌性リンパ管症のため死去。享年58。

忌野 清志郎

忌野 清志郎(いまわの きよしろう、本名:栗原清志、1951年4月2日 - 2009年5月2日)は、日本のロック歌手、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、俳優。自称「バンドマン」「ブルースマン」。
東京都中野区生まれ。その後、東京都国分寺市に移り住み、国分寺市立第二小学校、国分寺市立第三中学校、東京都立日野高等学校へと進む。実家は東京都国分寺市富士本。
中学時代にエレキブームに刺激を受けてバンド活動(ベンチャーズなどのカバー)を始める。1966年初頭、フォークブームに刺激を受け、バンド仲間/同級生の小林和生(のちの林小和生)、桶田(のちの破廉ケンチ)とともに「The Clover」を結成。東京都立日野高等学校進学に伴い、活動が停滞する。高校時代、忌野はビートルズを聞き込んでいたが、ジョン・リー・フッカー好きの友人の影響で、ブルースにも傾倒する。
バンドの解散/再編(The Clover→The Remainders of The Clover→The Remainders of The Clover Succession→R.C.サクセション)を経て、1970年にフォークグループRCサクセションとしてシングル「宝くじは買わない」でデビュー。1972年にシングル「僕の好きな先生」が小ヒットしたものの後が続かず、また事務所関係のトラブルが発生したこともあり、長期にわたってバンド活動は低迷する。その間、忌野には井上陽水との共作「帰れない二人」「待ちぼうけ」(ともに『氷の世界』収録)、かぐや姫への作詞提供「あの唄が思い出せない」(『はじめまして』収録) などの印税が入っていた。

はぁ…

今日いつもの電器屋でのバイト中に清志郎さんの追悼番組が流れていました。清志郎さんんの不幸を知った時にアルバム「KING」を聞いて泣いていましたが、バイト中にいつのまにか泣きそうになっていました。なので今日は僕がRCで一番最初に好きになったスローバラードを載せておきます。

やっぱ清志郎さんかっこいいなぁ…